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ノブレス・オブリージューーセッションで感じたこと

皆さん、こんにちは。
次世代の女性を応援するコーチ・メンターの畑さち子です。

残すところ、今年もあと2日と少し。
皆さん、いかがお過ごしですか?

私も年末年始お休みをいただくので、
その前に集中してセッションを行っていました。
その中のお一人が「ノブレス・オブリージュ」の話をなさっていました。

セッション時はもちろんクライアントさんが主役で、コーチは聞き役、
クライアントさんがその時間でより大きな成果を手に入れられるように努めるわけですが、
それでも人間だから(笑)自分に矢印がむくこともあります。
そのセッションの時も「ノブリス・オブリージュ」という言葉を聞いて
「ああ」と心の中で思った。

「ノブリス・オブリージュ」(フランス語:noblesse oblige)
直訳すると「高貴なる者の義務」
私がこの言葉を初めて聞いたのは18歳の冬。
なんでそんなにしっかり覚えているか、というと。
大学受験の時、関西学院大学という家の近くの私立大学を受け、
結局行かなかったのだけれど、入学金も払ったので(親がね(^-^;)
「新入生向けの入学案内」みたいなのをもらって、そこに書いてあったのです。

「高貴なる者、って言われったってさあ、私は貴族じゃないからね」とか思ったりもしたけれど、
一応健康で特に大きな心配事もなく育ち、
教育も受け、
捨てることになるかもしれない入学金も、親は当たり前のように出してくれる。
周りも多かれ少なかれ、そんな感じの友達が多かったので、あまり気にしていなかったけど、
これはもしかして、すごーく恵まれたことではないのだろうか、と生れて初めて心底思った。
(もしかして、気づくの遅いかもしれない、
ま、のほほー-んとした高校生だったので(^-^;)

で、仮に自分が「高貴なる者」だとして「義務」は何か。
確か「社会的責任を果たす、社会への貢献」というように書いてあって、これもすごく納得した。

「多少なりとも恵まれた立場にいる自分だから、それを当たり前と思わず、
社会や他者に貢献する意識を持つのだ!」て考えた気がする。

そんなこと思い出しながら、久しぶりに関西学院大学まで歩いてみました。
相変わらず美しいキャンパスだなあー--。
(話は変わるが、玉川大学、国際基督教大学、関西学院大学は私の中で
三大美しいキャンパスとして認定されています)

18歳の時、私は何を思っていたのだろう。

SMAPの「夜空のムコウ」のいう曲の中に
「あの頃の未来に僕らは立っているのかなあ」というフレーズがあって、
時々頭をよぎります。

今の私、あの頃の未来に、まあまあ立っているような気もするし、
まだまだ遠い気もする。
「そう悪くないんじゃない?」って気もするし
「これで満足しているの?」って問いかける自分もいる。

いろいろ思う2021年の年末。
答は出ない。
2022年もその先もずっと考え続けるのかなあ。

なんか青くさい気もするけど、青くさい自分は実は嫌いじゃない(笑)
関西学院大学から母校(出身高校)まで歩いてきたので、今日はことさらに青くささが匂います(笑)

 



関西学院大学。
ヴォ―リスの設計です
こういうスパニッシュな感じの校舎が並んでいます。

 

 

 
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