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感じたこと

中村哲医師の映画を見てきました

皆さん、こんにちは。
次世代の女性を応援するコーチ・メンターの畑さち子です。

先週のことなのですが、映画の自主上映会に行ってきました。
通常の映画館での上映に行けず、大変残念に思っていた、その映画。
医療行為のためにアフガニスタンにわたった医師、中村哲さんのドキュメンタリー映画、
「荒野にに希望の灯をともす」です。
現地の過酷な状況に
「病気を治す前に、まず必要なのは水だ」
「病気は後で治してやる。
とにかくそれまで生きておれ。」
と土木工事には全く素人の医者でありながら井戸を掘り、さらに用水路を拓く。

いや、まあ言葉にすればこの数行ですが、これって通常の想像の範囲のことではありません。

年月は遡って、2001年、同時多発テロの後に、アメリカによるアフガニスタン侵攻が始まりました。
テロの犯人をかくまっているという理由で、無差別爆撃。

私にとってはショックではあったけれど、遠い国の話しでした。
が、それに伴い自衛隊派遣の是非が問われ、中村医師は国会で答弁(アフガニスタンの現状を訴える)するために帰国。
そのタイミングで行われた、鎌倉の教会での講演会に参加することが出来ました。
(今は亡き作家の井上ひさしさん(自衛隊派遣に強く反対していらした)が
当時、鎌倉に住んでいらして、地元で講演会を主催なさり、鎌倉在住の友人が声をかけてくれた、という経緯。)

アフガニスタンの現状をお聞きすることは、心底衝撃ではあったけれど、
それに加えて、中村医師のような方がいるということが、本当に本当に心揺さぶられました。
小柄で、話し方も訥々していて。
小さな会場だったので、「なんか靴がくたびれているなあ」なあんてことも妙に印象的でした。
いわゆる「オーラすごい」とか「カリスマ」な感じは全くなくて。
でも、その言葉や存在の強さに震えました。

ちなみにその時、うちのムスメは中学生で、学校を早退させて一緒に連れて行ったのだけど、
ムスメはその後、途上国支援に関心を持ち、海外の大学院で学び、その後途上国で働いていました。
この講演会は、何らかのきっかけの一つになったのかもしれないなあ、と感じています。
自分の進路を決めるのは本人だけど、そのためにいろいろな情報や未知の世界を見せてあげるのも
(それもまあ親のフィルターは通ってるわけですが^_^;)
親の務めだと私は思っているので、まあ、それは良かったかな。

さて、もとい。
私にとって、中村医師は生前も(数年前、凶弾に倒れ亡くなりました。
本当に残念でした。悲しくて悔しくて震えました。)
今も、私にとって世界中で最も尊敬する人のうちの一人です。
そして、どうしてあそこまで出来るのか不思議で仕方なく思う人のうちの一人。
あそこまで一生かけなくても良いのじゃないか。
なんであそこまでできちゃうんだ、という驚愕。
だって、日本で家族と一緒に快適な住居で口に合った日本食を食べ、
設備の整った大きな病院で診察をなさっていたら良いじゃないですか。
アフガニスタンの人々が困っている、というなら、お金を送るとか、で良いじゃないですか。
少なくとも私はそう思いました。

中村医師については、興味のある方は検索していただければたくさん出てきますので、どうぞ。

で、「なんであそこまで一生をかけることができたのか」は私にとって、とても尊敬すべき点でもあり、
不思議に思う点でした。
ので、映画(ラッキーなことに上映後、監督のトークイベントもありました。)見て、
帰宅して録画してあった(永久保存版)関連の番組をまた見て。
ネットのインタビュー記事を探してまた読んで。

結局、わからないのだけれど。
印象に残る言葉を書きだしますと、(100%正確ではないです^_^;、大意は合ってます)
「子どもが溺れかけていたら誰だって手をさしのべる。
さしのべた手をひっこめるのは男がすたる。
(「男がすたる」という表現は今のご時世どうかな?とご自分でもおっしゃっていましたが、まあ、昭和の感覚としてわかりますよね^_^;)
人間として心残りが残る。」

「自分たちが続けていることで、いろんな人が元気出たり命が助かる」

「用水路を拓く、ということ以外に方法がないのであれば、
やってみなきゃしょうがないじゃないか。」

「用水路が通ることによって砂漠から、緑豊かな土地に変わるのを見るのがうれしい。
この喜びのために自分は生まれた。
これが私の道楽。
すなわち道を楽しむ、ということ。」

どれだけの言葉を聞いても
「そうは言っても、そこまでやらなくても。。」
という気持ちはあるけれど、中村医師にとっては
多くの葛藤を超えながらも、
「これしかない。」
「やるしかない。」
というシンプルな気持ちだったのだろうなあ、と思います。
なんか、それしかない。

もっと長く生きてほしかった。
数年前の事件だけど、今も犯人に対しては怒りと悲しみしかないけど、
「きっとその人にはそうしなくてはならない理由があったんでしょう。」
とおっしゃるかな。
そして、
「一緒に亡くなったアフガニスタン人のスタッフにも思いを寄せてください。」
とおっしゃるかな。
つくづく利他の人、GIVERだったと思います。
「いや、究極、自分がやりたかったからやっただけです。」
っておっしゃるかも、ですが。

人間はかくも愛しく、かくも尊い、、、と心の底から感じます。

中村医師の遺志をついで(というか生前からありましたが)
ペシャワール会というNGO団体があります。
よければ見てみてくださいね。
ペシャワール会 (peshawar-pms.com)


 

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